落揚葉

タワゴト言う。

ティボール・フィッシャー『コレクター蒐集』(1997、英)


コレクター蒐集 コレクター蒐集
ティボール フィッシャー (2003/04)
東京創元社

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『コレクター蒐集』…原題"The Collector Collector"、六千五百年前のメソポタミアで作られた碗が、自分を蒐集する人間を知識として蒐集する。要は蒐集家を観察するのが趣味で、シニカルな論評を加えるのが好きなお碗のお話…。お碗のくせに知識人ぶる。そんな彼が特別な才能を持った美術鑑定士に預けられたところから物語が転がる(というかまろび出る)。結構クセのある構成で好き者には病み付きです。これはツボ過ぎた。



この作品も法螺話の一種に位置づけられるものと思います。お碗の吐き出す有象無象の人間たちのエピソードはどれも眉唾もの。荒唐無稽で現実の延長というよりは現実の斜め横の延長に所在がある。
冷凍イグアナで弁護士を殴る泥棒、モップ頭と絵描きの娘の最も感動的な触れ合い、観念マニア、歴史上一番の雨降らし屋、百万のヒラメよりヒラメ度が高いお碗、耳飾りをつけたアナゴ、ジャグリング芸をするオコジョの噂、死なない男、必ず研究発表が先を越される天才女……。
仕様もないカタログが、そのくせ一つ一つ味わい深い皮肉や教訓や哀愁や愛に満ちていて、奇抜ながら秀逸。眉唾で白眉。

法螺噺家の筆頭格と言えば、R.A.ラファティかな?
盗みの天才エイリアン〈どろぼう熊〉が文字通り"あらゆるもの"を盗み始める「どろぼう熊の惑星」、この宇宙の永遠の謎、万物の始まりを解き明かすという目的のもとに九百人どころじゃないお祖母ちゃんと遭遇する「九百人のお祖母ちゃん」、ホメロス「オデュッセイア」を全宇宙規模で破天荒に突き進む漂流譚「宇宙舟歌」など、奇想と評するのも憚られるほど奇天烈な話を物語る。それは、悪夢に満ちていて笑いに満ちている夢想の豊穣世界。架空の個性。

しかし、『コレクター蒐集』の著者は、R.A.ラファティに類する才能の持主、というわけではない。ティボール・フィッシャーが書くのは、珍奇なエピソードのコラージュだけれど短編集ではない。個々のエピソードも秀逸だけれど、本当に素晴らしいのはこれを"コラージュ"する、その手腕。てんでバラバラで継ぎ接ぎの逸話がそれぞれ散逸せずに「一箇所」に着地する。



世界観は極めて猥雑だし、エピソードの多くは猥褻だし(※猥談だらけ)、でもラスト、「一つの顔」と「一つの出会い」に全ての風景が収斂する様に爽快感がある。際立った構成力が本作の魅力です。



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宝生舞『私はゴミ箱になりたい』


私はゴミ箱になりたい 私はゴミ箱になりたい
宝生 舞 (1998/01)
主婦と生活社

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帰宅途中、ブックオフに寄っていろいろ物色。
画集の棚に、なぜかこんな本が鎮座してました。

宝生舞『私はゴミ箱になりたい』

画集でないのはともかくとして、「宝生舞、懐かしいキャラだな」という感想もまぁ置いとくとすると、この題名、すごい。表紙も、すごい。すごいいい。
衝動的に物欲が湧くも、値段を見ると、700円。高い。
ページをぱらぱらと捲ってみたら、何の変哲もないエッセー集だったので、買うのはやめました。もしこれがゴミ箱にフィーチャーした写真集だったら、1500円でも買ったかもしれない。例えばひたすら宝生舞がゴミ箱に入ってるとか。それを五十の角度から接写するとか。ゴミ箱に入ったまま川を下っていくとか。ゴミ箱に入ったままスカイダイビングするとか。ゴミ箱と一緒に不法投棄されるとか。
あぁ……。
傑作の予感が……

それにしても、アマゾンでは1円で取引されているこの本、ブックオフは何を考えて700円に設定したのでしょうか。

宝生舞を捨て置いた私は、15年前のwebデザインの本(洋書/ハードカバー/大判本)を300円で購入して、ブックオフを後にしました。




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芥川龍之介「奇遇」(1921)


今日の芥川龍之介。
『奇遇』(青空文庫所収

"奇遇"とその"裏"、"裏"の"裏"、
――しかし"奇遇"な"表"が"裏"に被さり、"全体"が、
"空白"に包まれる。
・・この場合、『奇遇』自体がそもそも"裏"なんだよな。明かされないはずの"裏"が、作為的に明かされる、且つ、隠される。珍妙だな…。

芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫) 芥川龍之介全集〈4〉 (ちくま文庫)
芥川 龍之介 (1987/01)
筑摩書房

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『穴』(AFTER THE HOLE)/「藪の中」


穴
ソーラ・バーチ、デズモンド・ハリントン 他 (2002/12/18)
ポニーキャニオン

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『穴』(原題:THE HOLE / AFTER THE HOLE)2001年
[監督] ニック・ハム
[出演] ゾーラ・バーチ、デズモンド・ハリントン、ダニエル・ブロックルバンク、キーラ・ナイトレイ
[あらすじ] とある名門高校に通う学生が4名、忽然と姿を消した。警察、マスコミが騒然となる中、失踪より18日後にそのうちの1名が発見される。……女子高校生のリズは、疲弊しきった状態で見つかり、他の3人のクラスメイトは、薄暗い「穴」の奥底で死に絶えていた。一体何が「穴」の内部で起こったのか?そもそも何故、彼らはそんな場所にいたのか…。事件後("AFTER THE HOLE")、リズの口より語られる凄惨な"物語"。

米題『AFTER THE HOLE』が実に示唆的。
「穴から出た"後"に物語られる」というその"事後性"が、「穴で"何"が起きたのか」という"事件性"と上手に絡まり合ってサスペンスを形成する。直線的な事実描写ではなく、ある特定の人物に依拠する"供述"であるということ。そこに人間由来の恣意性が介在し、よって騙りの妙味が生じます。
(といってもプロット自体は単純なので、意外性はさほどありません。この映画は「思春期の感性と闇を画として描き出す」という目論見もあるようで、撮り方/描き方に直感的なアクセントを利かせています。そのことがプロットの単純さを要請していたとも言える。そして、そのことがこの映画に相応しい"後味"へと繋がっている……)
出演している俳優の中で一番有名なのは、キーラ・ナイトレイかな? 『ドミノ』で印象強かったけど、この映画でもやはり好演を見せている(『ドミノ』の四年前だね)。勿論、パイレーツ・オブ・カリビアンをご覧の方は、そちらでお目にかかっておられることでしょう。キーラ・ナイトレイは、役に沿った"雰囲気"を纏う。
主演のゾーラ・バーチ、何かで見たことあると思って調べてみたら、『ダンジョン&ドラゴン』くさい。そうか…。子役として有名だった人みたいです。こちらも良い演技。あと、男の子たちも良い。……撮った人が上手く撮ったのでしょうね〜。



ところで、"語り"による摩天楼と人の"性"。
といえば日本人的にはあの小説を想起する。
芥川龍之介『藪の中』(青空文庫所収
……というわけで発作的に再読したけれども、……。この小説については、何も語れない。……。……ぅぁぁぁぁ……。(沈黙)


芥川龍之介 芥川龍之介
芥川 龍之介 (1991/02)
筑摩書房
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イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』(1965、伊)



イタロ・カルヴィーノという作家はある無限の老人と出遭いました。その名を「Qfwfqじいさん」と云う。彼の語る奇矯な法螺話『レ・コスミコミケ』を・・・気に入ってぬぼーーっと読む。科学ネタに取材する法螺話といえば、有名どころはラファティ。→でも作法は全然違う。物理学的/天文学的仮説の骨子をまんま物語のプロット<自体>に当て嵌めて「シッチャカメッチャカ」。=理論をネタとして用いるのではない。「物語の構造」そのものが「仮説の理論構成及びその基礎的哲学」から類比創作されているのだ!→遊び過ぎだー!とキャイキャイしながら読むが大体において根本にあるモチーフは「触れ得るものと触れ得ぬもの」「有り得べき者による有り得なきもの」と統一されているなと気づいて神妙になる。→「うぉぉ・・(沈黙)





奇天烈なのに、ノスタルジック。変人(というか"人"ではないもの)ばかりが登場するが、其処に在る"感情"は常に人間の真ん中。

奇想の美しい「月の距離」、
お茶目な"時"のやり取り「光と年月」、
観念と実在の均衡を擦れ擦れに保つ「ただ一点に」、
途上の生物らの交流が不思議と普遍的な"距離"の問題を明かす「水に生きる叔父」、
知と無知「無色の時代」、などなど、

しかし、ハイライトはやはり「空間の形」かな?
……ただひたすら落ちる。ただひたすら望み、求める。ただひたすら、手に入らない。





ところで、一つ一つの短編の始まりに、イントロダクションとして種種の文献の引用が掲載されている。これが、小説の趣旨/企図/魅力を予告するとともに、お洒落で素敵。



レ・コスミコミケ ハヤカワepi文庫 レ・コスミコミケ ハヤカワepi文庫
イタロ・カルヴィーノ (2004/07/22)
早川書房

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パット・マガー『七人のおば』(1947、米)


七人のおば (創元推理文庫) 七人のおば (創元推理文庫)
大村 美根子、パット・マガー 他 (1986/08)
東京創元社

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結婚して英国に渡ったサリーは、ニューヨークに住む友人からの手紙で、おばが夫を毒殺し、自らも服毒死したことを知った。ところでサリーにはおばが七人いる。手紙にはおばの名前が書いていない (ひたすらお悔やみの言葉が並んでいる)。……お、おばってどのおばだ?

ミステリー小説です。しかし本格推理ではありません。サスペンスでもありません。勿論ハードボイルドでもない。…パット・マガーという作家は、結構お茶目な発想の持ち主です。『七人のおば』以外の作品としては、“被害者”が誰なのかを延々と推理するミステリーや、“探偵”が誰なのかを延々と推理するミステリーを発表しています。どちらも力の置き所がおかしい。「そこが推理のしどころか?」――。この小説では、取り乱したサリーをなだめるために、サリーの夫が彼女の思い出話を元に「真犯人?」を推理することになります。七人のおばはみんな変人です。サリー曰く、「どう考えても、一人残らず殺人を犯す素質を備えている」

一家の歴史を書く物語は、その構成員の性格や起こる出来事の性質、語り口によって読み味が異なります。(読む価値も、興味の対象も、リーダビリティも。)

その点、個性的な七人のおばがひたすら迷走していくこの小説は変に刺激的でした。キャラ造形自体、実にお茶目で、言うならば昼ドラが行き過ぎて更にトンチンカンになったような感じ。
ストーリーは、七人のおばに纏わる出来事を綴る回想部と、それについて話し合うサリーwith夫の会話部(推理部)が交互に連なって進行していきます。
サリーが回想しているという性質上、おばたちのやり取りするところには必ずサリーが居たはずですが、その割にはサリーの存在感がありません。会話にしゃしゃり出てこない。(サリーは両親が事故死したのを機に、おばたちの家へ預けられました。家の中では一番年下で、また、礼儀正しい少女でした。)そうした面から、さりげな〜く寡黙に、律儀に、こぢんまりと、家族を“観察”しているサリーの姿が透かし見えてきて好ましい。(たまに思い切って口をはさむ。家に慣れてきた頃には結構喋り出すのがまたリアル) グッ。

この小説はとかく「事実のメカニズム」というものを真摯に扱っているというか。「或る事実故に或る事実がある」という基本の構造を厳格に守っています。
それでいて、奇矯な性向、完璧でない人格、学ばず誤る愚かさ、そういったもの(=「人間の"人間"性」)に対する温かい眼差しに満ちている。

……そうした"味"に騙されて、これがミステリーであることを忘れていると、その真相の鮮やかさに。推理の整合性に参ってしまう(笑)

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赤染晶子「初子さん」


赤染晶子「初子さん」(文芸春秋刊『うつつ・うつら』所収)

パン屋に居候しながら洋裁屋を営む初子さんの、平坦な人生考察の話。
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子供の頃の夢の通り、洋裁の職人になった。仕事の依頼は絶え間なくある。これで問題ないはずである。何が不満なのか、何が足りないのか。これでいいはずである。このまま日々を送っていけばいいはずである。初子さんにはよくわからない。ただ、毎日がしんどい。今日も明日もずっと変わりそうになく続く日々がだるい。(p12)
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平坦な人生考察の話。
ただそれだけ、なのだけど、それがまぁ、びっくりするほど"ぼんやり"している。
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初子さんは出来上がった洋服の納品や配達に自転車で行く。
「またよろしゅう」
と頭を下げて帰って来るが、気がつけば人の自転車に乗って帰って来ている。(p9)

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初子さんの周りにいる人たちも皆ぼんやりしている。
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薄らぼんやりとした店主は、時々パンの中身を間違えて作ってしまう。あんパンを買った人はそれをあんパンだと思って食べる。中からクリームが出てくる。(p7)
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こののんきなパン屋には弥生という一人娘がいる。父親似なのか、すこしぼんやりしている。この春から小学校に入ったが、最初の一ヶ月は学校から迷って帰って来られなかった。弥生が言うには、行きは皆、同じところに向かうので迷わずに学校に辿り着けるが、返りはめいめいの道を辿って家に帰らなければならない。それが難しいのだという。(p20)
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そして、初子さんの居る町全体もぼんやりしている。
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ここはなんとも小さな世界である。この地域には田舎ののどかさとは違う、どろりとした空気がある。昔、水のように澄んでいた空気が歴史や伝統を背負ううちに、水が水銀になった。見た目は似ているが、水銀は滝や川になれない。どっと勢いよく動くことができない。どろりと粘って、重たい力で人の動きや思考を封じる。この町の空気が、何も知らない外の人間から見ると、いつまでも美しい水に見えるのは本当は水銀だからである。水銀は腐らない。いつまでもきらきらと澄んだ水のように輝いている。(p14)
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何より、全篇通して、叙述そのものがぼぉんやりとしている。それは上に挙げた文章から見て取れる通り。ぼんやりとした、膜のようなものに、情景、風景、この小説の、人々の言葉、感情、様々なものが覆われ、遠いもの(近くないもの)になっている。しかし、この小説が扱っているのは、私たちの存在に至極接近する主題――「生活」である。

「人は生きて動くものである。」p51
初子さんの不安というのは、ただ「夢」から出発しているはずの日々の生活が、いつしかそのきらきらした感情を失い、形ばかりの、どろりとした――生きるためだけの――気苦労に取って替わられてしまっているということ。ふと気づいたときに、人は、「生活」に絡め取られている。歳を取り、生き、「生活」を築き上げ、いつの間にか、その困窮したリズム、閉塞したサイクルから抜け出せなくなっている。
時間は気づけば過ぎ行く。そのくせ時間時間のその忙しなさに相対する徒労感、困憊は人の身に蓄積していくものである。
……いつの間にか。感情が磨り減り、摩り替わっている。いつ?なぜ?
その理由は、日々に埋没している。その原因は、世界に埋没している。その原理は、自己に隠蔽されている。
ぼんやりと。


それでも生き方には無限のバリエーションがある。私たちは多様の仕方でぼんやりしている。
「生活に絡め取られている」――その事実に意識的な人、無意識的な人、気にしない人、気にする人。
洋裁屋を営む初子にとって、依頼者はそのカタログであるとも言える。
彼女は、彼らと接しながら、ぼんやりと、自分自身を自分に問う。
しかし、ぼんやりとした初子さんの、ぼんやりとした意識の中において、この姿勢の何処にもぼんやりとしたところはない。
人生に潜むぼんやりとしたもののえげつなさに目を向ける、逸らさない。




うつつ・うつら うつつ・うつら
赤染 晶子 (2007/05)
文藝春秋

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アントニオ・タブッキ『インド夜想曲』


先日、アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』を読み終えました。
心地良い読み味。綺麗な文体。瀟洒な“対話”。芯のある様々。 “旅と不眠”、 なるほど。
「この小説は好きだー!!」
と標準的な感想を抱いていたら、ラスト、物語を収斂させる異様な手練にガツンと頭を叩かれました。脳髄を引き抜かれたと言ってもいい。




 「ほほえむと、悲しそうにみえる」

・・・・

 夜熟睡しない人間は多かれ少なかれ罪を犯している。
 彼らは何をするのか。夜を現存させているのだ。
 ――モリス・ブランショ

・・・・

 はじめに。(『インド夜想曲』序文)
  これは、不眠の本であるだけでなく、旅の本である。不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。……

・・・・

 彼は手をあげて、砂浜にいる少年たちをゆびさした。ちょうど太陽が沈むところで、水は小さな花火を散らしていた。すぐそばで、漁師たちが舟の用意をしていた。半裸で、腰に布を巻いていた。「ここではみな平等だ。旦那はいない」彼はからかうような表情で僕を見た。「きみは旦那かな」
「さあ、どう思う?」
 どうだろう、と言うように彼は僕を見た。「答えはあとで言うよ」

・・・・

物語のすべてが“夜”に展開される。"彼"は旅をするが、その"旅"のそれぞれの"夜"が物語のすべてである。
物語のすべてが“一対一の対話”で展開される。"彼"は旅をするが、その"旅"のそれぞれの"出会い――独りと一人の邂逅――"が物語のすべてである。

これは切り取られた人生の恣意的な、切り取られた物語である。
“アンソロジーにはご用心”――

徹底した形式美の中で形式美を狙ってはいない。
サスペンスの薫りがするのに仕掛けを編んでいるわけではない。

さりげなさ。
それでいて企て。

――構造上、全く対照的な二つの読解が可能。どちらも成り立つけれど、どちらかが真相というよりは、相補的な関係、二つを同時に把握してはじめて補完される物語とも言える。 影が主要な概念であるこの作品においては。


(夜が描かれる。夜しか描かれない。隠蔽された昼の行程。繋がるようで“繋がっていない”。繋がって見えることが偽装。でも本当に繋がっている可能性もある。潜在している。同じフォーマット、異なりながらも似たシチュエーションで繰り返される対話。ほぼ意味はなく変化も訪れない。ただ、異質な結果が隠蔽された因果を予感させる。あるいは数多に散らばり絡げたメタファーが、数多の読みを保証する。絡げた。絡げた夜の先に昼が煙り、霞むものがその先にある)




「それでいて」、《実質的には》、ほんとうに、ただ綺麗な旅の記録。
人と人がきちんと出会う。きちんと、明朗に接して相手を見ている。
不眠が記した清清しさ。探しものの焦点はずっとぼやけてる。
人を探して一人を見つめる。
見える範囲で心を探す、飄々と、
アトマン、個人のたましい。
透明なハードボイルド、とも思ったな。


インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑) インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
アントニオ タブッキ (1993/10)
白水社

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前置き

タワゴト言います。

タワゴト書きます。


タワゴトにまみれます。



タワゴトにまみれしかしません。




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